裁きあうのではなく…

 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と、十字架上でイエスは祈られました。この「彼ら」とは、テロリストのことではなく、私ではないか…「父よ、片山佳代子の無関心をお赦しください・・・」と、執り成す祈りに聞こえてきて仕方がないのです。
 なぜなら、この事件が起こるまで、かの地域で子どもたちがどんな暮らしを強いられているか、知ろうともしていなかったからです。この無関心が、テロリストたちを生んでいるのかもしれません。子どもたちを育てて、普通に生活できるなら、誰がテロリストになったりするでしょうか?
 加害者も実は被害者・・・というのはよくあることです。いじめも同じですね。
 そして、「テロリストたちを決して許さない」と、主張する人も、実は、癒されなければならない心の傷があるのかもしれません。
 裁きあい、批判し合うのではなく、赦し合い、愛し合うことができますようにと、私は祈ります。
「完全な愛は恐れを締め出します」