ひきこもりを地域の力に

本当は働きたいんですよね。

10月28日のNHKクローズアップ現代
ひきこもりを地域の力に 〜秋田・藤里町の挑戦〜
を見て、いろいろ考えさせられました。

レクレーションの場を設けても、誰も来なかったけど、就職へとつなげる研修の場を設けると、ひきこもっていた人たちがやってきました…
「彼らは弱い人ではない。
多くは、働く場所がないために、家にひきこもらざるをえなかった人たち。
チャンスがあれば、よみがえる。」と支援担当者は語ります。

番組で取り上げられていた事例からもわかることですが、彼らは、就職活動の失敗などで、自信を無くして、ひきこもっているだけで、最初から、無気力だったわけではないです。なのに、無気力・無感動に育ってしまった落伍者とみなして、鍛えなおさねばならないとする発想が、まだまだ根強い気がします。だからこそ、この藤里町の実戦が広く知られていくことを願っています。

ひきこもりの一番の原因は、働ける場がなくなってしまったことですから…
その原因を取り除くこと、つまり、働く場を提供することこそ、一番にやることですね。決して、ひきこもりを弱い人とみなして、鍛えなおすことではなくて…

「感謝されることで、自分が必要な存在であることを実感し、ひきこもっていた人たちが自信を取り戻し始めています。」
頼られる、感謝されるということが生きる意欲につながっていきます。

ガンジーは仕事を取り上げることほど、人を不幸にすることはないとして、人手を省く機械化に反対し、手仕事の復活を主張しました。

これだけ工業化が進んだ現代にあって、全ての人に仕事を提供することはそもそも不可能なのだから、ベーシック・インカム(基本給)をすべての人に提供すべきだという主張もあります。しかし、お金をもらっても、本当の意味での満足・喜びにはつながりません。
仕事を通して、その人がいないと困るんだという役割を与えることが、何よりも必要です。

「本当に気がつくし、優しいし、困っている人に対する目線とかが本当に温かいんですね。」というコメントが、番組でありました。
こういう人が、今の競争社会では、振り落されて、ひきこもらざるを得ない状況に置かれています。
私は昨年、藤里町の実戦を知って、藤里町まで出かけてお蕎麦を頂いたのですが、本当に誠実で、丁寧に仕事をされている姿に好感が持てました。でも、今のスピードを求められる社会だと、そういう丁寧さが評価されず、のろいと言われてしまうのかもしれません。残念なことだなあと思います。

藤里町の担当者が情報提供を粘り強く、丁寧にやっていらっしゃる姿勢にも、頭が下がります。マザー・テレサは、「愛の反対は無関心である」といいましたが、であるならば、まさにこういうお節介こそが、愛ではないかと強く思わされました。

しかし、丁寧に、何度も粘り強く、繰り返して…ということは、スピードや効率が求められるとできません。市町村が合併したのも、効率を求めるが故でしたが、広くなると、戸別訪問や個別の対応には、どうしても限界が生じてしまいます。
もう一度、立ち止まって、一人一人が本当の意味で大切にされる社会はどうあるべきか、考えないといけないと思わされました。

丁寧な仕事が高く評価される社会をつくっていきたいです。
互いをいたわり合い、支え合う社会というのは、効率やスピードを求める社会とは相いれないものではないでしょうか? 効率を求めるあまり失ってしまった、暖かさを取り戻したいと、私は思います。スローダウンすることに、私たちの幸せがあるからです。