「ザ・トゥルー・コスト 〜ファストファッション 真の代償〜」を見ました。

http://unitedpeople.jp/truecost/
現代の衣類産業、いわゆるファスト・ファッションの背後にある、劣悪な労働条件、自然破壊などの問題を告発した映画です。
5月には、岡山市でも上映会が開催されます。
http://www.opief.or.jp/?p=5368

あなた作る人、私着る人でよいのでしょうか?
 「労働環境を改善して、公正な賃金を払うことが解決法だ」と、公正な貿易(フェア・トレード)を推進している人は思っているみたいでした。ファストファッションよりもフェアトレードの方が善いとは思います。が、どうして、途上国の人が作る人で、先進国の人間が着る人なのでしょうか? 途上国の人は仕事を必要としているのだから、仕事を与えることは良いことであるという大前提があるみたいでした。しかし、縫製作業のような根気のいる仕事を途上国に押しつけて、先進国は、営業・販売ばかりというのは不公平な気がします。

各地で村単位の自給をめざして
 もっと言えば、女工などの仕事や賃金がないと生きていけないのでしょうか? 生きるのに必要なのは、食べるもの・着るもの・住む場所などです。それらをお金で買うのが当たり前となったから、お金が必要だと思ってしまいますが、直接それらの必需品を手にすることができれば、お金は必ずしも必要ではありません。耕す、織る、建てるなどを協同で行うのであれば、外に出かけて賃金労働に従事する必要はないわけです。
 必需品の素材はすべて母なる大地が私たちに無償で与えてくれています。土地を共有して、みんなが協力して働いて、必需品を得ていく、村単位の自給自足を目指したら工場を誘致する必要もありません。だから、解決すべき問題は、工場での労働環境よりもむしろ、土地の問題だと私は思います。

大量生産品よりも民族衣装を
 民族衣装がすばらしいのは、それぞれの気候風土の中で育つ素材を使って、各地で育んできた伝統的なやり方に従って作られているため、その地域で暮らすのに最適な衣装となっているからです。
 映画に登場した、バングラデシュダッカの縫製工場で働く女性は、娘にはよい教育を受けさせて、よい暮らしを手に入れて欲しいから、今は娘と一緒に暮らせなくても、工場で働くと語っていました。しかし、よい教育、よい暮らしとは何でしょうか? 本当に深く考えないといけない問題だと思います。
 縫製工場で働くこの女性が、工場で働く代わりに、伝統的な民族衣装を娘に作ってあげ、その作り方を娘に教えるなら、それこそ、本当の教育とならないでしょうか?
 学校という所に子供たちを押し込めて、ABCを教えることが教育でしょうか? そして、大学を出ても、就職先がなかったら、どうするのでしょうか? 伝統的な暮らしの技術を取り戻す教育が必要とされる時代が来ているように思われます。
 だから、先進国といわれる日本に住む私たちも、昔ながらのやり方で衣類を手に入れる技術を、紡いだり、織ったりの技術を取り戻していけたらと思うのです。フェアトレードの衣類を買うよりも、作ることに本当の満足があると思います。

根気を養うこと
 山陰地方で布を織ってきた90歳のおばあちゃんの話を先日聞きました。物がない戦時中は、お金があっても何も買えなかったそうです。糸を紡いで米を手に入れたと言われていました。1日に100匁(約300グラム)の糸を紡いだそうです。驚異的な量です。このおばあちゃんの記憶間違いではないかと思っていたのですが、「続木綿伝承」という本にも、1日あたりの糸紡ぎ量が100グラムから500グラムだったという記録が載っていました。当時は10時間以上の労働だったかもしれませんが、人間、やろうと思えば、これくらいのことはできるのかもしれません。
 苦労しなくても、お金で何でも手にはいるようになった結果、私たちはとんでもなく怠惰になっているのかもしれません。私自身の紡ぐスピードは、1時間に7グラムほどですので、まだまだかないません。それでも、少しでもたくさん紡いでみようと思い、おしゃべりもやめて、一人で黙々と紡いでみると、案外気持ちがよいことも発見しました。無心の境地というのもよいものです。糸も均一になってきます。
 コミュニケーション力を養うのもよいですが、むしろ、黙々と手足を動かす根気を養うことの方が、大切なのかもしれません。

みんなで種を蒔こう
 もちろん、最初からあまりハードルを高くするのも考え物ですから、まずは、綿にふれてみるところから始めたらよいと思います。綿花の種まきの時期となりました。種が必要な方には、お分けしています。ご連絡ください。
 今年も、あちこちで綿が笑むことができますように・・・