スウェーデンについて

 発送電分離についての記事で、スウェーデンは、2基の原発廃炉にしたものの、いまだに10基が稼動中と書きました。それでも、2基を廃炉にしたのは、さすがスウェーデンと思います。
 スウェーデンは、私にとって懐かしい思い出のある国です。学生時代に、スウェーデン人宣教師と出会いました。女性の就業率が高く、高福祉の素晴らしい国であることがうらやましくて、「スウェーデン人になりたいものだ」と言ったことがあります。
 それに対して、この宣教師は、「スウェーデンだって、昔から素晴らしい国だったわけではありません。国民が一つずつ努力して築き上げてきたのです。日本だって同じことができます」と言われました。そして続けて、「スウェーデンでは収入の半分は税金で持っていかれます。なぜ、スウェーデン人は、それを受け入れていると思いますか。本物の信仰を持っていて、捧げることが喜びだからですよ」と言われました。「ところが、最近では、ボルボなどの企業が、税率の低い国で生産を行うようになってきています。信仰心が薄れてきているからですね」と、憂いてもおられました。「日本を良い国にしたいと思ったら、政治運動よりも、本当の信仰とは何かを知ることですよ」と、言われていました。
 なぜ、日本が今のような国になってしまったかを考えていくと、信仰心の欠如ということがあるような気がします。原発を受け入れれば、多額の補助金を受け取ることができます。「原発は安全だ!」と言っていれば、出世できます。「危険だ」と言おうものなら、たちまち干されてしまいます。このような現実の中で、お金を前にして多くの人が膝を屈してきました。人間は弱いものです。私だって、大金が目の前にあれば、飛びつかないでいられる自信はないです。
 でも、そうして流されてきた結果、誰も幸せではありません。本物の幸せは、自分の利害を超えたものに目を向けることにありそうです。そして、利害に流される弱い人間だから、内なる声に耳を傾けること、祈ることが必要なのでしょう。
 ガンジーは、「インド独立の父」と言われていますが、独立そのものよりも、独立国家にふさわしいインド国民を育てることに力を注ぎました。(『ガンジーの言葉の窓』参照)外枠や仕組みよりも、中身が大切なことを知っていたのです。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 (聖書:マタイによる福音書 / 6章 33節)