手仕事を生業に

 大飯原発再稼働の問題では、経済・雇用のためには、原発が必要という論議が、相変わらず幅を利かせています。原発の電気に頼らなくても成り立つ手仕事中心の経済活動と、過疎地での生業ということを、真剣に考え、新しい未来を作っていくべきではないでしょうか? 悲惨な事故を繰り返さないためにも…
 原発の事故によって自然環境が破壊されるよりもずっと前、原発が誘致された時から、人の尊厳というものが踏みにじられてきた気がするのです。農産物の価格が低く抑えられ、安い工業製品が出回り、農作業や手仕事などの生業が人々から奪われた時から・・・ お金の前に膝を屈することが増えた気がするのです。
 価格の問題というジレンマに悩みながらも、ガンジーは糸紡ぎなどの手仕事を復活させようとしました。ガンジーはアシュラムという、集団生活をしながら農業と手仕事に従事する自給自足型のコミュニティーをインド各地に作っていました。このようなアシュラムがあったおかげで、インド国民は、逮捕覚悟で不服従運動が貫けました。逮捕されても妻子はアシュラムに守られ、路頭に迷う心配がなかったからです。
 今の日本にも必要なのが、このようなアシュラム、地域の仲間ではないでしょうか? それによって、本当の自立が可能になります。不安を感じながらも原発を容認するような生き方から、尊厳を取り戻し、誇りを持って仕事に汗を流す生き方へと、一人一人が変わっていけたら素敵です。
 津波による塩害の被害を受けた農地で綿を育てた東北コットンプロジェクトというのがあります。東北の地で育てた綿を1〜5%含むポロシャツやタオルなどの販売が開始されるようです。これらは工場で加工された工業製品です。でも、もう一歩進めて、糸紡ぎや機織りまで、東北でやることができれば、生き生きと働く人々の姿があちこちに出現し、農村が原料供給地であることをやめ、もっと、活気づくような気がします。
 そんなことをしたら、製品が高くなりすぎて売れないではないか・・という反論があるのは知っています。でも、衣類も食べ物も、命です。植物の命・作業した人の命がそこにはあるのです。それに値段をつけることの方がおかしかったのではないでしょうか?
 販売ということを、見直す必要もある気がするのです。コミュニティーの仲間が必要とする衣類や食べ物などを、それぞれが特技を生かして生産し、交換し合えば、販売する必要性すらなくなります。そして、みんなが生きられるのです。
 夢物語でしょうか? 私はこの夢を実現するめに、これからの人生を賭けたいと思っています。

 夢実現に向けたささやかな一歩として、この間から編んでいた帽子が出来上がりました。茶綿と白綿をより合わせ綿糸で編んだ帽子です。