人としての尊厳を取り戻すために 『ガンジーの糸車』 No.43 

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広島に引っ越してきて初めての冬を迎えています。
暖冬のせいもあってか、雪も降らないし、暖かいので、冬という感じがしません。天気の良い日も多いし、実家が近くなって、栗のイガなど自然の素材も手に入る(もちろん、野菜などもたっぷりいただいています・・・)ので、染色を楽しんでいます。いろんな色の糸がたまってきています。これでどんな布が織りあがるか、楽しみです。

人としての尊厳を取り戻すために

ベーシックインカムは可能か?
フィンランドがすべての国民に毎月約10万円を支給するベーシックインカムを導入する予定であることが、話題になっていました。
 しかし、社会保障を廃止して、その財源に充てるそうです。そうなれば、医療費も無料ではなくなるでしょう。病気や傷害のある人は、働いて収入を得ることも難しいでしょうから、月10万円のベーシックインカムだけでは医療も満足に受けられなくなるのではないかと、心配です。社会保障は、弱者に手厚い保護を与えるためのものです。それを廃止して、十分な資産や収入がある人にも月10万円を支給することになれば、不平等が拡大しないかと心配です。余裕がある人の10万円を病気や傷害その他の事情を抱えた弱者に回すことが必要で、そのためには、ベーシックインカムを導入するよりも、社会保障を維持した方が良いように思われます。
 社会保障を維持したまま、ベーシックインカムを導入できれば言うことありませんが、それは現実的ではないです。日本で仮に月10万円を日本国民約1億人に支給するとすれば、10兆円が必要だからです。だから、日本の場合も、ベーシックインカムよりも、社会保障の充実を求めるべきではないでしょうか?
 ベーシックインカムが議論されるようになった背景には、機械化、IT革命によって、仕事が急速に消滅しているということがあります。その結果、失業者があふれているのだから、失業者に生きる権利を与えようという主張から始まっているようです。
しかし、生きる権利とは、お金を支給されることではなく、働く権利であると私は思います。人としての尊厳を取り戻すためにも、与えねばならないのは、お金ではなく、仕事です。もちろん、傷害などのために働けない人を支える必要があるのは言うまでもありませんが、仕事を通して、人は、社会とのつながりを実感でき、お役に立っているという貢献感を味わうことができます。そして、仕事を通して、人は成長できます。だから、傷害があってもできる仕事を工夫することも必要になってきます。バリアフリーということが言われるのも、そのためではないでしょうか?

いのちを育む仕事
 ただし、過労死するほど働かせられたり、歯車のような仕事であったり、軍需産業のような地球や社会のためにならない仕事であれば、仕事を通して貢献感を味わったり、幸せを感じたりはできませんから、仕事の質も問われます。
 ジョン・ラスキンはその著書『この最後の者にも』の中で、世の中にはいのちを育むプラスの仕事と、いのちを損なうマイナスの仕事がある。マイナスの仕事を減らして、プラスの仕事を増やさねばならないと書いています。プラスになる仕事を、みんなで分担することができれば、素敵です。障害者にも老人にも子供たちにも、それぞれの事情に応じて無理のない範囲で役割が与えられることが、一人一人の幸せにつながって行くような気がします。
 命を生み、育てること、そして、そのために必要な食料や衣類などの必需品を生産することがプラスの労働です。それであっても、自然を破壊するような生産の仕方であれば、命の基盤が損なわれますから、自然に寄り添った生産労働こそ、プラスの仕事となります。機械を使うと、素早く大量に生産できて、すばらしいことのように思えますが、衣類の生産の場合でも、染色を始めいろいろな工程で化学薬品が大量に使われています。結果的に命が損なわれることになりかねません。
 だからこそガンジーは、環境を破壊し、人々から仕事の機会を奪う機械化に反対して、手仕事を復活させようとしたのです。手仕事に代表される自然に寄り添った生産労働の中に、真の豊かさがあります。一粒の種が数百倍の実りをもたらしてくれるからです。機械は、大量に生産できるかもしれませんが、それは大量の原料とエネルギーを投入するからです。資源を製品に変え、やがて廃棄物にしているだけです。実質的には何も生んでいません。他方、種を蒔くところから始まる農業・手仕事は、自然の恵みをいただいています。無から有を生み出しているのです。自然を守り、自然の恵みを維持することが、本当の豊かさにつながります。

使うために作る
 機械に負けて、手仕事が廃れたのだから、この時代に手仕事を復活させることは夢物語だと考える人が大勢います。そして、そう考える人が、ベーシックインカム導入を主張しています。
 しかし、手仕事の復活と、ベーシックインカムの導入、どちらが夢物語でしょうか??
ベーシックインカムの財源を確保するのは、容易ではありません。他方、今日、私が糸を紡ぐことを妨げるものは何もありません。そして、続けていくなら、必ず服を手に入れることができます。手仕事の復活に懐疑的な人は、お金にならないと言います。それはその通りです。しかし、ガンジーの思い描いた手仕事が復活した社会というのは、商品を生産する社会ではありません。売るためにではなく、使うために作る労働を広めようとしたのです。
 ガンジーは、それを探求して、スワデシに行き着きました。スワデシは、国産品愛用と訳されることが多いですが、ガンジーに言わせると、それは村単位の自給自足です。目に見える関係の中で、お金を媒介とせずに、与え合う関係を築くのです。与え合うと言うよりも、ひたすら与える関係と考えた方が良いでしょう。困っている人は、必要なものをただで与えてもらえる共同体を作っていくのです。そんなことをすれば誰も働かなくなるでしょうか? 心配には及びません。人は、役割が与えられていることが、喜びであり、幸福なのですから。
 今、失業している人たちが、一番困っていることは、お金がないことよりも、社会から必要とされていない、いらない存在ではないかという孤独、孤立感です。それが、自殺の引き金にもなります。魂が喜びで満たされるような仕事が存在すれば、そして、その仕事を通して、お金を媒介としなくても、生活が保障されるなら、人は熱心に働くことでしょう。そして、与えることができる喜びを体験したなら、ますます作ることが楽しくなってくるはずです。
 だから、私は今日も糸を紡ぎます。自分の服だけでなく、家族の服も作りたいです。やがては友人にもプレゼントできるようになれたらと思うのです。家族には田圃や畑を耕してもらって、可能な限り自給ができたらなあと思うのです。そして、自給できないものは、紡いだ糸と交換で手に入れられるようになったら、怖いものはないと思うのです。

 どこまで行けるかわかりませんが、一歩ずつ、その方向に向かって歩んでいきたいと思っています。