名前を書くだけではなく、手足を動かそう

 深刻な原発事故を前にして、原発廃炉に!」と求める署名運動が活発化しています。私もいくつか署名しました。とても大切な取り組みだと思っています。でも、署名やデモだけで廃炉にできるほど、世の中は甘くはないという気もしています。
 ガンジーは、糸を紡いだり手足を動かすことを人々に求めました。塩の行進でも、行進したから庶民の必需品である塩に高額な税を課す塩税が廃止されたのではなく、人々が塩の専売法を無視して、自ら塩作りに精を出したことが、大英帝国の支配を根底から揺るがしました。
 確かに署名を集めることは大変な労力を要します。何筆集まったと、達成感もあるでしょう。しかし、それは運動を推進している人にとってであって、一般の人々は名前を書くだけです。ただ、名前を書けば世の中が変わるでしょうか? 
 むしろ、ガンジーがやったような非協力運動、つまり、東電への非協力が必要ではないでしょうか?。署名もデモも、東電の善意に訴える効果はあるでしょう。しかし、そもそも、東電に善意があれば、原発はとっくに止まっていたはずです。私たちが支払ってきた電気料金で、東電は原発のための土地を買収し、反対派を札束で懐柔してきたのです。可能な限り電気を使わないことが、東電への最大の抗議ですし、これが、最も有効な方法でしょう。
 今回初めて知ったのですが、原発は止まっても、冷やし続けなければならないのですね。となれば、日本中の原発を止めれば、その54機の原発と使用済み核燃料を冷やし続けるために、膨大な電気を原発に送らねばならないわけです。それでも、はたして電気は足りるでしょうか?電気を湯水のごとく使ってきた私たち一人一人の生き方の見直しが求められていると思います。 
 まずは、電気の契約アンペアを落として、それでもブレーカーが落ちない生活を心がけたらいかがでしょうか? いろいろな工夫ができると思います。炊飯器の代わりに鍋でご飯を炊いたり、掃除機を使わないで、箒とちりとりで掃除をしたり・・・そして、工場の機械で作られた物や遠くから運ばれてきた物の購入を控えたり(こうすることで、家庭以外の電力消費も抑えられるでしょう)・・・あるもので工夫する、手間をかけることは、案外楽しいことだったりします。
 手間のかかることや、我慢や忍耐を人々に求めなくても、自然エネルギーにシフトしたらよいという意見があることは知っています。しかし、太陽光パネルを設置したり、風力発電所を建設するのには、時間が必要です。でも、節電は今日から始められます。
 夏場に計画停電が必要になりますと、病院などの電気も止まってしまいます。先の余震では、停電によって酸素吸入器が止まってしまい、命を落とされた方がいらっしゃいました。このような弱者を守るためにも、計画停電を回避する必要があります。健康で、エアコンがなくても耐えられるのであれば、高齢者や病人を守るためにも、率先してエアコンのスイッチを切ったらよいと思います。私たち一人一人の取り組みによって計画停電が回避でき、やがて原発廃炉にすることができれば、素敵ですね。