廃炉にできない背後の理由

 中越沖地震で柏崎の原発が損傷したことにふれて、私は、拙書『非暴力・平和・糸車:ガンジーに学ぶこれからの生き方』(星雲社)で、次のように書きました。

「電気は余っているから柏崎の原発廃炉にしても大丈夫だという主張がありましたが、そんなことは百も承知で、でも、仕事がなくなると困るから廃炉にしてもらっては困るという人が多くいます。足りないわけではない電気を生み出すのに、危険な仕事をすることにやりがいを感じることができるでしょうか。「飯の種」だと割りきるしかありません。そうやって、人は人間性を失って、ロボットや機械のようになっていくのかもしれません。」(pp.183-184)

 どうして、農村で、原発以外の「飯の種」がなくなってしまったのでしょうか。『食の歴史と日本人』(川島博之著・東洋経済新報社・2010年)に次の指摘があります。

「明治時代は、米生産額がGDPに占める割合は20%から40%程度であった。その後それはほぼ一貫して減少・・太平洋戦争と敗戦に伴う混乱期に一時増加したが、・・・昭和が終わろうとする1987年の値は0.9%と1%を割り込み、2002年の値は0.4%でしかない。
 米は日本人に欠かせないものであるが、昨今、それを入手するのに必要な金額は、所得のわずか0.4%に過ぎない。
 5キロの米は2000円前後で購入できる。日本人は1年間に約60キロの米を消費しているが、この価格で計算すると、米を購入するために必要な金額は、1年間に2万4000円になる。年収600万円なら、米の購入に必要な金額は収入の0・4%である」(pp.107-108)

 一人が1年間に食べる米代が2万4000円です。しかもこれは店頭での販売価格ですから、農家の人々が売る時の値段はもっと安いわけです。明治時代と比べて、米価は信じられないほど暴落しています。一生懸命、米を作っても生活できなくなったのです。
 このようにして、農村の人々から「飯の種」が奪われていったこと、ここに、原発廃炉にできない本当の理由があるような気がします。
 米価が下がっても、先祖代々受け継いだ土地での稲作を放棄することは、そう簡単にできることではありません。年老いた両親を見捨てて、都会に仕事を探すことも簡単ではありません。そうなれば、稲作を続けながら、地元でさらに別の収入源を探さねばなりません。そこに現れたのが原発だったのです。
 「飯の種」を奪われた農村の人々の弱みに付け込んで原発を押しつけた東電もひどい会社です。しかし、「日本の米は高い」などと文句を言って、農村の人々を追い込んだことでは、私たちも同罪ではないでしょうか?