今年も種を蒔く

 昨日はイエス・キリストが復活されたイースターでしたね。命が新しくよみがえる時。東北の地も、ようやく春が訪れつつあるようです。秋田はまだつぼみですが、山形・岩手のあたりまで桜前線が北上しています。
 幸運なことに、家の近くで畑を借りることができました。これで種が蒔くことができます。種は本当に不思議な存在です。そのままにしておけば、何年でもそのままなのに、大地に蒔けば、芽を出し、やがて実りのときを迎えます。
 本来なら、うきうきするはずの春ですが、雨が降れば、放射能は?と、気になってしまいます。秋田にも放射能がゼロということはないでしょうが、日本国内で完璧を目指すことは無理でしょう。だから、比較的安全とされるこの地で、私は今年も種を蒔きたいと思っていますし、今年こそ、種を蒔くことが大切だと思います。
 原発の事故は、私たち一人一人の傲慢な思いが招いたことだと思います。傲慢の傲の字は、人が土を放すと書きます。人が大地から放れた時に、大地の恵みによって生かされていることを忘れ、科学技術で何でも可能だと、絶対安全だ、全ては技術で克服できると思い込んでしまいました。しかし、自然の力の前には、私たち人間は、なす術を持たない非力な存在です。頭を垂れて、大地を耕し、頂く恵みに感謝する・・・忘れてはならないことです。
 しかし、無力だと嘆く必要はありません。この宇宙、地球を創造された大いなる方、天の計らいがあるからです。キング牧師は、『汝の敵を愛せよ』(新教出版社)の中で次のように書いています。

 ヒトラームッソリーニのような連中にも全盛時代があり、一時期は緑したたる月桂樹のように自分の香りを振りまいて、大きな権力を揮うかも知れない。しかし彼らは、程なく雑草のように刈り取られ、青草のようにしおれてしまうものである。(p.193)

 大事故が起こる前に原発を止めることができませんでした。裁判に訴えても、良い判決が得られませんでした。この世の権力の前には、庶民の力は無に等しいと思えるときがあるかもしれません。でも、希望を捨てないことが大切ですね。

あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。(イエス・キリストの言葉・聖書:ヨハネによる福音書16:33)

 たとえ世界が明日終わろうとも、私は今日リンゴの種を蒔くだろう。(宗教改革者、ルターの言葉)