発送電分離

 最近、電力の自由化を求める意見の中で、発電と送電線を分離すべきだという主張をよく耳にします。政府もその方向で動こうとしているという報道もありました。
 たとえ電気を自由に選べるようにするためとしても、よくよく考えてみる必要があるような気がしています。
 送電線というのは、台風や地震で切れればすぐに繋がなければいけません。絶えずメンテナンスが必要です。送電線をいくらたくさん所有していても、お金にはなりません。メンテナンス費用がかさむだけです。それは、道路と同じです。国道、県道、市道・・・国や自治体は維持費に税金を投入しています。その一方で、自動車会社は自動車を作って大儲けをしています。JRは線路のメンテナンスも自前でやっているのに・・・、だから鉄道は自動車に負けてしまったという話しをどこかで読んだ記憶があります。
 発送電が分離されると、うまみのある発電は民間企業がやって、送電線の維持費を負担するのは国や自治体という構図になるかもしれません。まして、東電がつぶれた後に外国の電力会社が参入してきて、美味しい所だけ取られてしまっては、大変なことではないかと心配になります。
 たしかに、市民がクリーンエネルギーを選べるようにする電力の自由化は大切です。であれば、送電も発電も国有化して、市民の願いどおりの発電方法が採用されるようにした方が良いのではないでしょうか?
 電力の自由化を求める人々は、スウェーデンを例に挙げて、スウェーデンのように日本もなろうと主張されます。ですけど、スウェーデンでは、1980年の国民投票で、「10年以内に全ての原発を閉鎖する」という政治決定が行われたものの、閉鎖された原発は2基に留まり、いまだに10基の原発が稼動中です。電力を自由に選べても、原発依存からの脱出は難しいようです。
 スウェーデンを非難したいのではありません。日本が原発を増設してきた時に、スウェーデンは2基とはいえ原発を減らしたのですから、そのことは高く評価すべきです。ただ、私が言いたいのは、仕組みでは、問題を解決するには不十分だということです。
 たとえエネルギーを選ぶ自由がなくても、掃除機の代わりに箒を使うなどして電気の使用量を減らし、夜は買い物に行かずに、買い物もなるべく歩いて行ける所で地元で作られたものを選ぶ、手仕事で作られたものを大切に使う・・・などを通して、家庭だけでなく、運輸部門や工業部門でのエネルギー消費を抑え、原発がなくても成り立つ暮らしと経済を作っていくことは可能ではないでしょうか? そして、そのようなことは、今すぐに私たち一人一人が始めることができます。仕組みが出来上がるのを待つ必要はないのです。
 歩くのが面倒くさいから、床がひとりでに動いて目的地に運んでくれる仕組みを作ろうというのは、愚かなことです。私たち一人一人が、自分の足で目的地に歩いていったらよいではありませんか。歩けない人には手を差し伸べて、車椅子を押してあげたり、一緒に歩くこともできるはずです。
 私たちの未来はやはり、自分達の手足を使う先にあると思います。