減らすという発想

 今日付け(7月4日)の朝日新聞で、『電田プロジェクト』が紹介してありました。休耕田や耕作放棄地の2割に太陽光パネルを敷き詰めれば、東京電力の発電能力に匹敵する5000万キロワットになるそうです。
 日本の食料自給率が4割を切っていて、さらに、津波放射能汚染で作付ができなくなった農地が大量にあることを考えると、休耕田や耕作放棄地は、田畑に戻すほうがよいと思います。放射能で汚染されていない農地を日本人が共同で耕していくことが、何よりも求められているはずです。
震災の復興とは、震災前の状態に戻すことではなく、新しい未来を作っていくことであって欲しいと思います。

昭和27年を1(イチ)とすると、平成20年頃には、GDPは13倍にもなりましたが、電気の消費量はさらにその3倍の36倍にもなっています.
平成になるとエアコンが増え、昼間の電気は3000万キロワットから6000に跳ね上がっています。エアコンが数万円で買えるようになり、電気代も安くなると、多くの人がエアコンを使い、その結果としてさらに電気の消費量が増えるのです

と、武田邦彦氏のブログ、http://takedanet.com/2011/07/post_3ac0.htmlにあります。
 この流れを踏襲している限り、やがては日本中に太陽光パネルを敷き詰めても足りなくなるかもしれません。そして、耐用年数が過ぎた太陽光パネルが廃棄物となっていくとすれば、あまり明るい未来ではなさそうです。

 どうして、減らすという発想がないのでしょうか? 
「昭和43年には東電は1000万キロワットを発電すれば良かった」と、武田氏のブログにもあります。昭和63年でも、およそ4000万キロワットであることが、同ブログのグラフから読み取れます。昭和63年といえば、バブルのころです。十分豊かな暮らしだったと思いますが、そのころに戻ることすらも、悲壮な覚悟がなければできないことなのでしょうか?
 原発の事故以来、東電が独占していたことがやり玉に挙げられています。自由化して競争原理を導入すべきだという主張が主流となってきました。これまでも自由化・民営化によって、多くのモノやサービスが安く購入できるようになりました。しかし、また一方で、職場の労働環境が劣悪化したことは、忘れてはならないことです