心の問題としての節約

原発の事故があって依頼、時々チェックしている武田邦彦氏のブログ
http://takedanet.com/2011/06/post_f68d.html
に次の記述がありました。

石油・石炭・天然ガスなどの化石資源は枯渇しない。いくらでもある。
地球は膨大で、今の人間の活動がいかに活発と言っても、地球から見ると小さいからだ。
「節約が大切」ということと「石油が無くなる」というのは関係がない。
「節約」は石油がなくなろうと、無限にあろうと、それとは無関係に心の問題として大切なのだ。資源が無ければ節約、あれば浪費というのでは情けない.

 化石資源は枯渇するのかしないのか、私にはわかりません。仮に、枯渇しないと明らかに証明された場合、私は湯水のごとく石油やエネルギーを使いまくるだろうかと考えてみました。温暖化の脅威もないと、仮定した場合です。
 私は、今までどおり節約していきたいと思いました。武田氏も『心の問題』であると書いておられますし、「資源が無ければ節約、あれば浪費というのでは情けない」というものも、全くその通りだと思います。
 それは決して、やせ我慢とか、忍耐とかというレベルのことではなく、つつましく暮らすこと以外に、人間の幸せはないからです。暑くても、畑があれば、炎天下に出かけなければなりません。それでも一仕事を終えて、家の中に入れば、直射日光を避けられるというだけで、ありがたいなあと思えます。暑い日でも、夕方になれば日中よりは幾分か気温は下がります。窓から入ってくる風に、ふっと心地よさを感じる瞬間があります。エアコンに頼っていないから感じられる幸せです。
 これが、エアコンでの冷房が当たり前となっていると、どうなるでしょうか? 就寝前にエアコンを消すと、むっとした暑さに不快感を感じた方も多いのではないでしょうか?同じ気温でも、身体がもっと暑い状況にさらされていた場合は、涼しく感じられ、もっと涼しい所にいた場合は暑く感じられます。そういうものなのです。夕方、ほんの少しでも気温が下がることを、恵みとして、感謝できることは幸せではないでしょうか? そこにある恵みに、感謝すべきことに気づけないとしたら、もったいないなと思うのです。
 もちろん、病弱な方々への配慮は必要ですから、皆さん節電しましょうではなく、自分でできるなと思ったら、そしてそのほうが幸せだなと思ったら、誰にも言うことなく、自主的にそっと節電する。これが一番素敵ですね。

 これらは、都会のヒートアイランドで苦しんでいる人々には、当てはまらないことかもしれません。でも、だからといって、エアコンをがんがん効かせて、熱風を外に撒き散らしながら、暑さに対する抵抗力を弱めていくのは、知恵のあることではないような気がします。