チェルノブイリ・ハート

 チェルノブイリ・ハートという映画を見てきました。とても重たい現実を突き付けられた映画でした。ベラルーシでは、新生児の85%が障害を持って生まれている・・チェルノブイリ・ハートとフクシマ・ハート-子どもの命奪い続ける放射線内部被曝 | すくらむ
 事故から10年、20年後に現れてくるこのような事態…これが現実なのだとやはり、直視する必要があるような気がします。しかも、被害にあうのは子どもたちや、未来の世代です。
 生まれ故郷を離れたくない気持ち、仕事の問題、ローンの問題…いろいろあるでしょう。でも、子どもたちや、その次の世代が病気になる危険を犯してまで守らねばならないものなのだろうか…、他人事だから言えるのだろうか…今も、私の心は揺れています。
 それでも、汚染地帯、ホットスポットからは避難することが、未来の世代に対するせめてもの責任の取り方ではないだろうか…と、私はこの映画を見て思わされました。
 過疎化が進む地域にニュー・フクシマを作ることはできないのでしょうか? 除染も大切かもしれないけれども、町全体を除染することは途方もないことのような気がします。ニュー・フクシマを作ることこそ、真剣に考える必要があるような気がしています。
 放射能の被害を福島だけに負わせては申し訳ないから、瓦礫を受け入れようという考えがあるようですが、未来の世代の立場から考えたら、せっかく汚染を免れた地域は、汚染されない状態を保つことで、安全な住環境、安全な食材の供給地であり続ける必要があります。瓦礫を拒否することはエゴではないでしょう。瓦礫を拒否して、避難民を受け入れたらよいと思います。
 私自身、転勤族の夫と結婚してから、何度も引っ越しを繰り返してきました。新しい土地に慣れてきたころに、転勤の辞令が出ます。そのたびに、辛い別れがありましたし、子どもたちにも苦労をかけました。悲しい思い、悔しい思い…大変なことはたくさんあります。でも、悪いことばかりでもなかったのです。引っ越したから、多くの出会いが与えられました。離れても友人であり続けることはできます。素晴らしい思い出の数々が、私の人生を豊かにしてくれています。辛い経験をしたから、成長できた面もあります。
 だから私は、ある限度を超えた汚染地域の人々には、避難を勧めたいと思います。そして、その費用は、福島の人々だけに負わせるのではなく、国民が分担することが必要です。そして、避難民を温かく迎え入れたいものです。これこそが、日本人の底力を示すことではないでしょうか?