燃やすな 危険!

 26日〜28日に私が住む秋田県大仙市で、震災瓦礫の試験焼却が行われます。今朝の新聞では、燃やす予定の岩手県宮古市の瓦礫を測定したところ、1キロあたり6ベクレルのセシウムが検出され、基準の100ベクレルを下回っているから、問題はないという報道でした。
 本格焼却を始めれば、2年間で5200トンを燃やす予定ですから、6ベクレルでも3120万ベクレルのセシウムが大仙市内に持ち込まれることになります。セシウムは、燃えてガスとなり大気中に放出され、その後冷えて粒子となって大地に降り注ぐか、灰となって埋められ、やがては地下水に染み込んでいくかでしょう。
 震災前であれば、環境中に存在してはならないものであったはずです。基準の100ベクレルにしても、環境省ガイドラインから、根拠をたどっていくと、『原子炉施設及び核燃料使用施設の解体等に伴って発生するもののうち放射性物質として取り扱う必要のないものの放射能濃度について』平 成 16 年12 月16 日(平成17 年3 月17 日一部訂正及び修正)原子力安全委員会の文書にたどりつきます。
 http://www.nsc.go.jp/haiki/page5/050408-1.pdf
 このPDF文書の、目次等のあとの本文の2ページ目(PDFファイルでは12ページ目に当たります)に、「対象物は、施設の解体及び運転(以下、「解体等」という。) に伴って大量に発生する金属及びコンクリート(保温材等を含む。)(以下、「金属及びコンクリート等」という。) であり、可燃物は含まれていない」と書いてあります。
 「可燃物は含まれていない」つまり、焼却することは想定されていないはずです。100ベクレル以下だから、焼却しても良いとはならないはずです。
 セシウムが瓦礫にこびりついている限り、近づけば外部被ばくの危険はあっても、体内にセシウムを取り込んでしまう内部被曝の危険はありません。それを燃やせば、ガス化したものは呼吸で取り込まれ、農地に降り注いだセシウムは米や野菜に入り、地下水が汚染されれば飲料水も危険になります。それらを飲食する私たちは内部被曝する可能性があります。ろうそくの火に手をかざしてもある程度の距離を取ればやけどをすることはありませんが、火を飲み込んでその火が消えないとすれば… これが内部被曝の恐ろしさです。ごく少量でも人体には重大な影響を与えます。チェルノブイリハートの映画にあるような、いのちの問題です。だから、「燃やすな、危険!」なのです。100ベクレルの根拠に、可燃物が除外されているのであれば、燃やすことは100ベクレル以下であっても安全ではないのです。このことを真摯に受け止めて、再考していただきたいものです。
 だから、「岩手で燃やせ」という意見にも私は反対です。どこであっても燃やしてはならないものです。燃やさないことを前提に、どうしたらよいか、落ち着いて考えたいものです。
 住民の反対の声に耳を傾けることなく、事態がどんどん進んでいくことに怒りがわいてくることもあります。しかし、怒りや恐れから良いものは何も生まれません。秋田の人と岩手の人が互いに敵対してしまったりすれば、本来の目的からはずれてしまいます。また、市役所に出かけて行っても、対応してくださる方は、人の良いおじさんだなという印象を受けます。人と敵対することではなく、燃やすことがいかに危険なことであるかを知らせていくことにエネルギーを使いたいと、私は思っています。
 「たとえ世界が明日終わろうとも、私は今日リンゴの木を植えるだろう」(宗教改革者ルターの言葉) この精神で、私はこれからも生きていきたいと思っています。