3.11後の生き方

耕すことや紡ぐことを中心とした生活を、今まで以上に大切にしていきたいと思っています。・・・たとえ、すぐに目的地に到達できなくても、あるいは到達できないまま終わることがあったとしても、そのように歩む一歩、一歩に、深い満足と喜びがあると、私は思うのです。

恐れず未来に向かって
 原発の事故があって海外移住した友人の行動に心が揺れていると、メールをくれた人がいました。海外を含めて移住した人、留まることにした人、迷っている人、いろいろな人がいます。それぞれの決断・迷いを私は尊いと思います。
 ただ、放射能汚染が子どもたちや未来の世代に与える影響を考えた時に、留まり続けることよりも、移住の選択が容易になるような政策が必要ではないかと、私は思っています。少なくとも、移住したい人が金銭的理由等で留まるしかないというのは、悲劇ではないかと思うのです。樹木や落ち葉も含めて、街全体をきれいにすることが可能なのか?と考えた場合、除染よりも避難を後押しする政策が必要ではないかと…感じます。そして、農業についても、いろいろな対策を講じることで、100の汚染を10にすることが可能かもしれませんが、できれば、汚染されていない農地(休耕田)の活用をもっと推し進めても良いのではと、感じています。
 住み慣れた土地を離れたくないという気持ちもあるでしょうが、いま私たちは、新しい未来を創るための変化が求められていると思うのです。人類はもともと旅人だったという説もあります。アフリカで誕生した人類がやがて地球全体にに増え広がりました。移住の多くは、天変地異がきっかけになっています。今回の震災・原発事故も大変な天変地異です。恐れず、未来に向かっての旅を続けたいものです。
 ナチスによって強制収容所に収容された人々は3種類に分かれると、ある生存者が語っています「一つ目のグループの人々は、ただ弱っていきました。二つ目のグループの人々は否認という盾を立てて、以前のような暮らしを取り戻そうとしました。三つ目のグループの人々は最も健全で、収容所で学んだ「以前と異なる正常」の状態を取り入れ、人生を再建しようとしました」(『神を信じて何になるか』フィリップ・ヤンシー著・いのちのことば社)。ここで語られている第三の選択を私たちもすべきではないでしょうか。そして、新しい未来を築いていきたいものです。

直視すべき現実
 復興とは何でしょうか? 3.11の前に戻ることでしょうか? しかし、それは不可能です。3.11を境に世界は変わってしまったからです。むごい言い方かもしれませんが、私たちはすでに国土の一部を失ってしまったという現実を直視する必要があるような気がします。そして、これ以上国土が失われる事態が生じないように、すべての原発廃炉にすることが急務ではないでしょうか。
 原発事故とは国土を失うことであるという現実から逃げる時に、責任の所在をあいまいにし、原発を容認する力が働いてしまうような気がするのです。「なんだ、除染すれば良いだけのことなんだ」という楽観主義に陥ってはいないでしょうか? 子供たちが病気になっていく前に、手遅れにならないうちに、私たちは気づく必要があります。
 うすうすは気づいているのかもしれません。しかし、家などのローンを抱えて、仕事をやめることも、移住することもできない・・・ならば、安全だと信じていたい・・・。そういう思いになるのも無理もありません。あるいは、どうあがいても、何も変えられないのだから流されていくしかないという虚無感にとらわれているのかもしれません。難しいことは考えたくないし、今、楽しく暮らせばそれでいいではないか・・・絶望を享楽で誤魔化しているのかもしれません。

できることは何か?
 阪神淡路大震災から、中越地震、そして今回の東日本の大震災へと・・・その間に、能登半島などでも地震がありました。すべては天からの警告のような気がしています。方向転換するチャンスはあったのに、何もしないまま福島原発の事故を迎えてしまったようで、悔しいです。もし、西日本で大きな地震が起こり、また別の原発が事故を起こすようなことがあれば、日本はもう終わりです。。
 しかし、絶望したり、諦めたりする前にできることがあると、私は信じていたいのです。自分たちはどこに向かうべきかを、しっかりと見定めて、その方向に一歩ずつ歩んでゆきたいと思っています。
 原発廃炉にする最短の道は何か? 福島の事故以来、私はずっと考え続けてきました。そして、競争社会から降りて、日常生活を丁寧に生きることではないかと、私は思うようになりました。競争に明け暮れるから、大切なことを考える暇がなくなって、流されてしまうのではないでしょうか? 原発を推進することに対して、関心を持って学び、反対の声を上げていくだけの時間的余裕を持ちたいと思います。そして、その上で、電気を大量に使用するこの文明について、考え直してみる必要があると思うのです。
 ガンジーは、参政権もない植民地下にあって、不服従運動をとおしてインドを独立に導きました。私たちが原発を推進する人々に対してNo!を突きつける最大の力となるのは、原発に依存する電力会社への不服従です。つまり、大量の電気に依存しない暮らしをすることです。家庭での節電だけでなく、工業製品の購入を控えたり、ショッピングセンターなどの利用を控えることを通しても、間接的節電が可能なはずです。工業製品を購入するということは、その製品を作るのに使用した電気代も価格に含まれているのですから、間接的に電気代を支払っていることになります。その電気が原発で生み出されたものであるなら、多くの問題の加害行為に加担してしまうことになってしまいます。原発は定期点検のたびに被爆者を生む構造になっており、日雇い労働者が従事させられていますので、そのような差別を容認することにもなってしまいます。

悔いが残らない生き方
 「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はない」と、宮沢賢治は主張しました。世界全体を幸福にすることは途方もないことに思えますが、人を踏み台にするような生き方を慎むことなら、小さな私にもできるような気がするのです。
 機械の進歩は人手をますます排除して、失業者を増やしています。その一方で、電気などのエネルギーを使っているわけです。
 ですから、買い物をやめて、必要なものは自分で手作りする暮らしを取り戻すということは、大きな意味を持ちますし、遠回りなように見えて、これが原発廃炉にする一番の近道ではないかと思うのです。だから、耕すことや紡ぐことを中心とした生活を、今まで以上に大切にしていきたいと思っています。農産物の価格が下落して、農業だけでは暮らしていけなくなりました。でも、自給的な農業や手仕事なら価格ということを気にしなくて済むような気がするのです。そして、自給の度合いが増えるにつれて、お金が必要でなくなり、雇われる仕事から解放されて自由になれるような気もします。
 たとえ、すぐに目的地に到達できなくても、あるいは到達できないまま終わることがあったとしても、そのように歩む一歩、一歩に、深い満足と喜びがあると、私は思うのです。糸紡ぎや機織りに没頭している時間が、私にとっては至福の時です。退屈を紛らわせるのではなく、没頭できるものがあるというのは、幸せなことではないでしょうか?
 そのような本物の喜びが味わえる仕事が失われていくのは悲しいことです。機織り一つをとっても、手織りの技術が失われつつあります。「冬囲いの縄の結び方も伝えられなくなりつつある」とメールをくれた友人がいました。料理すら伝承されなくなっているのかもしれません。このことが危機でなくて何でしょうか?
 「たとえ世界が明日終わろうとも、私は今日リンゴの木を植えるだろう」と、宗教改革で有名なルターの言葉にあります。もし、明日死ぬとすれば、みなさんは、今日何をしたいでしょうか? おそらく愛する人々と共に過ごしたいことでしょう? 何をして、過ごしますか? 
 朝、「行ってきます」とそれぞれの場所に出かけて、家族がバラバラに過ごすのではなく、家族が協力し合って、大地を耕し、そこで得た恵みを感謝していただく、そういう暮らしを日々営んでいられたら、どんな災害が突然起こっても、悔いは残らないような気がするのです。家族を中心に、同じ志を持つ仲間とつながって、そういう暮らしを取り戻せたらと思っています。今、生かされているこの一日、一日を本当に大切だと思えることをして生きていけたらと思うのです。せっかく与えられた命です。天からの授かりものである一人一人の命が、輝きで満たされますように…