染色について思うこと

 藍の生葉染のシーズンとなりました。昨秋は、小鮒草・栗のイガなどを利用して染色
をしましたが、火を使わない生葉染は手軽にできます。生葉だと薄い色にしか染まりま
せんが、重ね染していくことで濃くなっていきます。
 木綿には染まりにくい為、ハイドロ(還元剤)などの薬品を使うことが一般的ですが
、手紡ぎ糸であれば、木綿でも、薬品を使わなくても、それなりに染まってくれます。
その日の天候や、藍の状態によって緑がかった青だったり、薄緑だったりと、いろいろ
ですが、私はそこに、一筋縄ではいかない、藍染のおもしろさを感じています。
 小鮒草・栗のイガなどの染色では、染液を煮出し、その中で糸を煮染めしなければな
りません。江戸時代にこれをやると、相当な量の薪が必要です。(今なら、ガスをかな
り使うことになります。)
 江戸時代の庶民の着物が、もっぱら藍や柿渋で染められていたのは、贅沢を取り締ま
奢侈禁止令によって、派手な色の着物を着ることが許されていなかったからですが、
もしかしたら、薪がなくても、煮染めをしなくても染まる藍や柿渋を染色の中心素材に
することで、木材を無駄使いしないようにしたのかもしれません。
 貴族階級のお姫様は派手な着物で着飾っていて、そういう需要に支えられて、日本の
染織技術が発展したこともまた事実です。そして、みんなが平等になった現代では、自
由に好きな色の服を着ることができます。それを禁止したら、それこそ戦時中の「欲し
がりません、勝つまでは」のスローガンに代表されるような、重苦しい時代となってし
まうでしょう。
 ただ、聖書の中に、「すべてのことが許されている。しかし、すべてのことが益にな
るわけではない。」という言葉があります。このことは、よくよく考えてみる必要があ
りそうです。