染色について思うこと

 藍の生葉染のシーズンとなりました。昨秋は、小鮒草・栗のイガなどを利用して染色
をしましたが、火を使わない生葉染は手軽にできます。生葉だと薄い色にしか染まりま
せんが、重ね染していくことで濃くなっていきます。
 木綿には染まりにくい為、ハイドロ(還元剤)などの薬品を使うことが一般的ですが
、手紡ぎ糸であれば、木綿でも、薬品を使わなくても、それなりに染まってくれます。
その日の天候や、藍の状態によって緑がかった青だったり、薄緑だったりと、いろいろ
ですが、私はそこに、一筋縄ではいかない、藍染のおもしろさを感じています。
 小鮒草・栗のイガなどの染色では、染液を煮出し、その中で糸を煮染めしなければな
りません。江戸時代にこれをやると、相当な量の薪が必要です。(今なら、ガスをかな
り使うことになります。)
 江戸時代の庶民の着物が、もっぱら藍や柿渋で染められていたのは、贅沢を取り締ま
奢侈禁止令によって、派手な色の着物を着ることが許されていなかったからですが、
もしかしたら、薪がなくても、煮染めをしなくても染まる藍や柿渋を染色の中心素材に
することで、木材を無駄使いしないようにしたのかもしれません。
 貴族階級のお姫様は派手な着物で着飾っていて、そういう需要に支えられて、日本の
染織技術が発展したこともまた事実です。そして、みんなが平等になった現代では、自
由に好きな色の服を着ることができます。それを禁止したら、それこそ戦時中の「欲し
がりません、勝つまでは」のスローガンに代表されるような、重苦しい時代となってし
まうでしょう。
 ただ、聖書の中に、「すべてのことが許されている。しかし、すべてのことが益にな
るわけではない。」という言葉があります。このことは、よくよく考えてみる必要があ
りそうです。

藍の生葉染

梅雨が明け快晴のこの時こそ、藍の生葉染です。6月に薄く染まっていた糸に、再度、生葉で染めてみました。前回同様ハイドロ(還元剤)などの薬品は使わずに、染めました。生葉と水をミキサーに入れて砕き、布で濾した液に糸をつけて染めます。(詳しくは、藍の絵本などに載っています) 今回はそれなりに濃く染まりました。綿は染まりにくいのですが、手紡ぎ糸なので、染液が入りやすいです。括っていた所をほどいてみると、括りがあまくて、多少色がついてしまいました。布に織ったときに、どのようになるか、楽しみです。

ワンピース完成!&藍の生葉染


織った布で、ワンピースが出来上がりました。育てた綿で糸を紡いで、草木で染めて、布に織り、服に仕立てる。気の遠くなるような作業・・と思われますか? 慣れてくると、毎日料理をするのと同じ、日常の営みです。一つ一つの作業を楽しんでいると、着心地の良い服となって、その作業が報われます。誰かを犠牲にして手に入れた服ではないことも、私に安心感を与えてくれます。平和というのは、きっと、こういうことの積み重ねの中にあるのだと、思っています。

藍の生葉染の季節です。
体験希望の方がいらっしゃいましたら個別に対応します。
希望日時をご連絡ください。
ただし、染めるのは手紡ぎ糸に限らせていただきます。
手紡ぎするための綿やチャルカが必要な方も連絡ください。


4月に織りあがった布です。これで、何を作ろうか悩んでいましたが、「私の手織り〈Saori〉 布を織るのではなく、自分を織る」という本で見つけたジャンパースカートを作ろうと思っています。布をくるくると巻くように斜めに使って・・どんなものができるか楽しみです。さをり織り創始者の城みさをさんの本には、布を無駄にしない衣服づくりについて素敵なアイディがいっぱい詰まっています。

「ザ・トゥルー・コスト 〜ファストファッション 真の代償〜」を見ました。

http://unitedpeople.jp/truecost/
現代の衣類産業、いわゆるファスト・ファッションの背後にある、劣悪な労働条件、自然破壊などの問題を告発した映画です。
5月には、岡山市でも上映会が開催されます。
http://www.opief.or.jp/?p=5368

あなた作る人、私着る人でよいのでしょうか?
 「労働環境を改善して、公正な賃金を払うことが解決法だ」と、公正な貿易(フェア・トレード)を推進している人は思っているみたいでした。ファストファッションよりもフェアトレードの方が善いとは思います。が、どうして、途上国の人が作る人で、先進国の人間が着る人なのでしょうか? 途上国の人は仕事を必要としているのだから、仕事を与えることは良いことであるという大前提があるみたいでした。しかし、縫製作業のような根気のいる仕事を途上国に押しつけて、先進国は、営業・販売ばかりというのは不公平な気がします。

各地で村単位の自給をめざして
 もっと言えば、女工などの仕事や賃金がないと生きていけないのでしょうか? 生きるのに必要なのは、食べるもの・着るもの・住む場所などです。それらをお金で買うのが当たり前となったから、お金が必要だと思ってしまいますが、直接それらの必需品を手にすることができれば、お金は必ずしも必要ではありません。耕す、織る、建てるなどを協同で行うのであれば、外に出かけて賃金労働に従事する必要はないわけです。
 必需品の素材はすべて母なる大地が私たちに無償で与えてくれています。土地を共有して、みんなが協力して働いて、必需品を得ていく、村単位の自給自足を目指したら工場を誘致する必要もありません。だから、解決すべき問題は、工場での労働環境よりもむしろ、土地の問題だと私は思います。

大量生産品よりも民族衣装を
 民族衣装がすばらしいのは、それぞれの気候風土の中で育つ素材を使って、各地で育んできた伝統的なやり方に従って作られているため、その地域で暮らすのに最適な衣装となっているからです。
 映画に登場した、バングラデシュダッカの縫製工場で働く女性は、娘にはよい教育を受けさせて、よい暮らしを手に入れて欲しいから、今は娘と一緒に暮らせなくても、工場で働くと語っていました。しかし、よい教育、よい暮らしとは何でしょうか? 本当に深く考えないといけない問題だと思います。
 縫製工場で働くこの女性が、工場で働く代わりに、伝統的な民族衣装を娘に作ってあげ、その作り方を娘に教えるなら、それこそ、本当の教育とならないでしょうか?
 学校という所に子供たちを押し込めて、ABCを教えることが教育でしょうか? そして、大学を出ても、就職先がなかったら、どうするのでしょうか? 伝統的な暮らしの技術を取り戻す教育が必要とされる時代が来ているように思われます。
 だから、先進国といわれる日本に住む私たちも、昔ながらのやり方で衣類を手に入れる技術を、紡いだり、織ったりの技術を取り戻していけたらと思うのです。フェアトレードの衣類を買うよりも、作ることに本当の満足があると思います。

根気を養うこと
 山陰地方で布を織ってきた90歳のおばあちゃんの話を先日聞きました。物がない戦時中は、お金があっても何も買えなかったそうです。糸を紡いで米を手に入れたと言われていました。1日に100匁(約300グラム)の糸を紡いだそうです。驚異的な量です。このおばあちゃんの記憶間違いではないかと思っていたのですが、「続木綿伝承」という本にも、1日あたりの糸紡ぎ量が100グラムから500グラムだったという記録が載っていました。当時は10時間以上の労働だったかもしれませんが、人間、やろうと思えば、これくらいのことはできるのかもしれません。
 苦労しなくても、お金で何でも手にはいるようになった結果、私たちはとんでもなく怠惰になっているのかもしれません。私自身の紡ぐスピードは、1時間に7グラムほどですので、まだまだかないません。それでも、少しでもたくさん紡いでみようと思い、おしゃべりもやめて、一人で黙々と紡いでみると、案外気持ちがよいことも発見しました。無心の境地というのもよいものです。糸も均一になってきます。
 コミュニケーション力を養うのもよいですが、むしろ、黙々と手足を動かす根気を養うことの方が、大切なのかもしれません。

みんなで種を蒔こう
 もちろん、最初からあまりハードルを高くするのも考え物ですから、まずは、綿にふれてみるところから始めたらよいと思います。綿花の種まきの時期となりました。種が必要な方には、お分けしています。ご連絡ください。
 今年も、あちこちで綿が笑むことができますように・・・

今こそ ガンディー(朝日新聞3月21日)

本日(21日)の朝日新聞朝刊に「今こそ ガンディー」という記事が掲載されています。先日、取材を受けましたが、産業革命以降の歴史、「経済の暴力」について、わかりやすくまとめてくださっています。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12268749.html

機織り中。


こぶな草、セイタカアワダチソウ、藍、栗のイガなどで染めた糸で、織っています。いろいろな糸を混ぜてみましたが、草木染は落ち着いた色合いです。
福山市は、雪がなく、空気が乾燥しているので、糸も乾燥していて、横糸がなかなか滑らかに入ってくれず、経糸を刷毛で湿らせながら織っても、ぼこぼことした仕上がりになっています。これはこれで、味わいがありますが、雪国が手織りの産地だったのも、納得です。雪の力は偉大です。
福山市は備後絣の産地ですが、明治時代以降、機械紡績の糸を使って織った絣でした。手紡ぎ糸を織っていたのは、山陰でした。